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かってに卒制展。

2022年が始まりなんだかワクワクしている、そんな日々を過ごしています。

毎日何かを作る、これがどれだけ幸せなことかと考えます。

ものを作るということの難しさと楽しさを同時に味合う”今”という瞬間を大切にまた1日1日過ごして行きたいなと思います。


年が明け、かってに卒制展のことを考えておりました。

今年は開催されるのでしょうか。私の希望としてはぜひ開催してほしいと願っております。

知らない方もいらっしゃると思うので軽く説明を。


建築学科の芸術系、工学意匠系の学生は卒業論文を書き卒業設計をします。そしてその作品にはもちろん評価がつきます。建築学生の一大イベントと言っても過言ではありません。

コロナの影響で卒業設計展をできない学生さんたちが自分たちの力で2019年SNS上で開催したのが”かってに卒制展”です。

多くの人に注目を浴びた一つの建築となりました。


かってに卒制展のこれから

私は第一回に感想文を提出させていただきました。

文章はこちらになります。

卒業設計というものについて考えます。

多くの方はすでに気付いていらっしゃると思うのですが学内の卒業設計展ほど面白くない胡散臭い展示はありません。展示の方法も例年通り、もしくは無神経に展示されたものが多いです。先生の指示に従い順番通りに並べられたりします。展示も一つの立派な建築であるという意識はほとんど感じられません。カテゴリー別に見せることや、コンセプトで展示の仕方を考える。そういう展示にしなくてはいけません。また評価の基準も不鮮明なものが多く理解しづらいというのが正直なところです。学生の皆さんには言っておかなくてはいけませんが学内の評価はあまり気にしないでください。そこで人生が決まるわけではありません。そして学内というとても小さな空間であることを理解してください。建築はもっと広がりのあるものだと感じていてください

建築はこの”展”というのが本来とても苦手です。どうしても見せ物として不思議な雰囲気を作ってしまいます。作品と呼べるかどうかもわからない、図面と模型の羅列。博物館でもなく倉庫のようでもなく、企業のプレゼンの現場のような。。。

学生の皆さんにお伝えしたいことがあります。それは今後の建築は”展”の中に生きるということです。

少し変わったことを言うようですが今後の建築はの中に生きます。建築の歴史は皆さん知っての通りものすごく長く深いものです。そんな歴史の中でこれだけ建物が地球を覆い、土地を占めることは歴史上今までなかったのではないでしょうか。開発する土地がなくなると建物は上に伸びようとしました。モダニズムの歴史は今なお私たちの生活の中心にあるようです。東京の街を走ると今なおこの巨大なビルの中で何百、何千の人が仕事をしていると思うとそれはとても不思議な感覚になります。なぜならそこに意味はないからです。人が集まる理由はあります。しかし人が固まる必要はありません。そして個人の意思まで同じ方へむかせようと、個性をなくさせようとしている建物の姿があります。それは建築家としては望むべき姿ではないです。

しかし建築家の仕事というのは、、、ここで料理をしてください。ここでお風呂に入ってください。ここで勉強してください。ここで仕事してください。と場所に意味を与え続けるお仕事です。それも古い建築のあり方ですが、大学で学ぶことはそういうことです。東西南北の意味を知り、法規を知り、図面を描く。素晴らしい事ですがその内容がいつまで経っても更新されないのはなぜでしょう。


New Age 生きる建築を目指して。

建築を学び、作り、考える時私たちは建築の死を知ります。それは決して長い命ではありません。その意味を避けて通ろうとする建築家が非常に多いです。その問題は構造や設備の問題ではありません。建築の性質の問題です。それは内容の問題です。それはあり方の問題です。建物は私たちの目の前に広がっています。それも十分と言えるほどに。そして私たちの意思とは無関係にあちらこちらで新たな建物は作られていきます。そこに意味はあるのでしょうか。何かを掬い取ろうとすることは可能でしょうか。

私たちの建築は移動できるものへ。土地に定着している時代は終わったのです。

私はそんな建築が増え始めているのを知っています。密かにみんな考えていることは同じようです。学生の皆さんもそんな時代の流れに敏感になってほしいなと思っています。


New Age。私は最近建築に対してこの言葉をよく使います。ポストモダニズムの建築というのは一つの建物に拘束された建築のことでした。もちろんそれはモダニズムにも同じことが言えます。New Ageと呼ばれる建築のタイプはこの建物に拘束される必要のない建築のことを言います。それが展にも繋がってくるのですが一つの建物に拘束されず世界中の建物を巡るような建築。もしくはそのような可能性を持った建築のことを私は勝手にそう呼んでいます。"TEN"なかなかいい響きの建築ではありませんか。建築の新たな可能性へ。


学生の皆さんへ

ぜひかってに卒制展、勝手にやってほしいなと勝手に思っています。内容も質も重要ですがまずはこの文脈を建築学生の中に作ってほしい。それが切なる願いです。もっと欲を言えば建築という文脈の中にこの卒制展が組み込まれることを願っています。なぜ建築の課題というのは提出図面が決められていて、コンセプトの文字数も決められていて、フォーマットの規定があるのですか。動画や3D、表現の幅は広がるなかで学校側から求められるものが変わらないのはなぜですか。すこし違和感を覚えませんか。建築学科という場所はそういう場所なのですか。そうであってはいけないと思います。枠を作る時代から脱却しなくてはいけません。ぜひ広がりのある卒業設計展を作り上げてほしいなと思います。






 
 
 

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