スケールがぶつかり合うところ。
- Gaku Sakura
- 2018年6月23日
- 読了時間: 2分
一時ブログを休んでもいいのかな?と考えていましたが、インプットしたものをアウトプットしてあげないとどうもテンションが上がってきません。ということでブログ再開します。
図面を描いているとそれに集中しすぎて、全体の思考がそちらに向かってしまいます。その為生活に支障が出てきてしまうこと多々あります。
ワールドカップの選手たちの動きが図面に見えてきたりするようなちょっとした幻覚を味わうことになります。それを楽しめるうちはいいのですが、段々とその状態に酔うような感覚を覚え始めると頭痛が始まります。後はバファリンと仲良くする以外方法はありません。
梅雨の影響もあるかもしれませんが今、頭の中は絶不調です。
それから肉や野菜を切りながら断面を構想し、全体の把握を怠り指を切りそうになるという体験を何度か経験しました。
それは肉や野菜を切ることと空間の連続の中で知覚する断面構造が親密な関係を築いていることへの気づきでした。肉には空間がありません。しかしその中に空間を作り出す方法を思考させます。生を宿す肉体の解体、ちょっとダミアンハーストのサメを思い出しますが感覚としてはそれを毎日体験する料理人としての感覚は非常に鮮烈な記憶になるのかもしれません。
そして音や触るという行為に図面で答えられることはないかと思考しますがなかなか難しいです。常にある、触る聞くという感覚。常にあるものをより視覚化する図面というのは難しいです。常にあるものを無くすことも困難です。当たり前という感覚は非常に厄介です。
厄介なだけに親しみのようなものを感じるのも事実ですが、いい接し方を模索してみます。
建物と私たちの距離感に飽き飽きしています。
それは日常に溶け込みすぎたSNSとも異なる微妙な距離感で私たちに戸惑いを感じさせることもありません。
建築素材について少し気になる内容をSNSでちらっと見ました。ガラスの素材は透き通る視線の先を見せるものだと理解しがちでありますがそれは違うと思います。ガラスとカーテンは兄弟です。喧嘩もしますし、一致団結もします。つまりそういうことです。暑さも寒さもそうです。平均的な値を得ようとすることを最善だと理解しようとするのは違います。夏にビールを飲むのと冬にビールを飲むのはことなります。それは鍋でも、たこ焼きでもステーキでも同じです。
今日はここまでにします。。。
Komentáře