ここに建築は可能か?―模型という最後の製作と、建築の不在について―
- 岩川 幸揮
- 2 日前
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序章|問いとしての建築
──建築とは何か、ではなく「ここに建築は可能か?」と問うことから始めたい。
建築の起源を問うとき、多くの人が「建物」を思い浮かべる。だが、建築とは本当に建物のことなのだろうか?私はその問いに、明確に「ノー」と答える。建築は建物ではない。建築は問いであり、構築の方法であり、実践の名である。
ハンス・ホラインは「すべては建築である」と言った。私はそれに対して、もう一歩踏み込んで問いたい。**「ここに建築は可能か?」**と。
それは物理的な敷地を問うのではない。今日、建築家に与えられる「場所」とは何か?SNSのタイムラインなのか? 模型の台座なのか? 都市の片隅なのか?あるいは、言葉そのものか?
建築の不在が叫ばれる今、私たちはもはや建築が建物として立ち上がる機会を前提にすることができない。震災、戦争、スクラップアンドビルド、経済合理性、そして建設コストの暴騰。こうした現実のなかで、建築家が本当に手にできるのは「模型」「言葉」「概念」だけかもしれない。
それは諦めではない。むしろ**「最後に残された製作としての模型」**は、建築家の純粋な表現の場として再定義されうる。
建築とは完成した建物ではない。建築とは、それを成立させるための一連のプロセスを通して問われる**「可能性」そのもの**なのだ。
このテキストは、そのような建築の不在性と、それにもかかわらずなお建築を語る、あるいは構築し続けることの意義を綴るものである。
模型、コンセプト、そして建築の歴史のなかで、**「ここに建築は可能か?」**という問いを今一度投げかけたい。
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