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第1章|フラクタルとしての芸術と建築

  • 岩川 幸揮
  • 6月5日
  • 読了時間: 2分

― ステラ、リヒター、ポロック、コールハースの構造にみるスケールと干渉 ―

スケールが飛ぶ。そのとき、作品はもはや作品ではない。空間であり、構造であり、波の干渉である。

フランク・ステラの絵画が持っていたあの異様な立体性は、どこか建築的だった。色彩は構造を侵食し、形態はキャンバスを突き抜ける。ここには、絵画と彫刻、建築の間にあった境界線が融解する瞬間がある。そしてその波は、ロジックではなく干渉として現れる。

ゲルハルト・リヒターの作品を思い出す。絵画なのか写真なのか、解像度はどこか揺れている。彼の作品に触れるとき、私たちは“どの距離”でそれを観測するのかを常に問い直される。近づけば滲み、離れれば鮮明になる。それは、チャートにおける時間軸の圧縮と拡張に似ている。1分足で見れば雑音だった波が、日足では構造になる。フラクタルとは、見る距離によって異なる意味を帯びる構造だ。建築にも、波にも、それは共通している。

そしてジャクソン・ポロック。彼のアクションペインティングは、重力を帯びた波の記録だった。彼が画面上に振りまいたのは、色彩というより「波の干渉の軌跡」である。それは価値を描いたのではなく、価値の発生過程を可視化したともいえる。チャートもまた同じだ。私たちが見るのは価格ではない。価格という波が空間に刻んだ「振幅の履歴」だ。

建築に話を戻そう。レム・コールハースの『S,M,L,XL』は、スケールという概念の解体と再構築を試みた書物である。そこに記された建築の実践は、単なる大小の区分ではない。むしろ、スケールによって意味や制度、都市と身体の関係がどのように波立つかという実験であった。スケールの違いとは、単なる倍率ではなく、波の位相の違いである。

このように、芸術と建築のあいだに共通する構造があるとすれば、それはフラクタルであり、干渉であり、スケールのスライドなのだ。フラクタルな構造は、あるスケールにおいては「意味の塊」であり、別のスケールにおいては「構造の残響」へと変容する。

つまり、空間とは一貫した全体ではなく、波の干渉としての「複数の視点」の集合である。

この視点のズレこそが、建築や芸術を「比例」や「整合性」の枠組みから逸脱させ、新たな構造的可能性を提示する。そこから、「波としての建築」は本格的に始まる。

 
 
 

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