第4章|スパイラルの波動:芸術的衝撃と構造の沈黙
- 岩川 幸揮
- 6月8日
- 読了時間: 2分
ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェッティ》は、建築でも彫刻でもなく、「波から生まれる波紋」の具象化である。グレートソルト湖の岸辺に延びるその渦巻きは、時間と自然の作用によって消えたり現れたりする。固定された構造ではなく、干渉と変容の場。そこには、「波の余白」がある。波の中心ではなく、その余波として形づくられるスパイラルは、まさに「構造の沈黙」を語っている。
この「沈黙」の問題は、ジョン・ケージの《4分33秒》とも響き合う。楽譜には何も記されておらず、演奏者は音を出さない。しかし、そこに「何もない」わけではない。会場のざわめき、風の音、息づかい——それらすべてが“音楽”として立ち上がる。「無」は存在しない。ケージが示したのは、「沈黙」という空白にこそ最大の密度が宿る、という逆説である。
この密度と余白の問題は、建築における「無作為」の設計にもつながる。ルイス・カーンが語った「空間の沈黙」は、建築が空間に何かを「足す」のではなく、「引く」ことで響きを得る、という思考である。構造体が明示するものではなく、その「隙間」「揺らぎ」「時間差」こそが空間の密度をつくる。
スパイラルとは、波の干渉が生んだ痕跡であり、衝撃の記録である。そこには黄金比やフィボナッチの形が潜んでいるが、それらは秩序を保証するためではなく、「波が自己を再帰させる回路」として現れる。つまり、スパイラルとは“比例”の図形ではなく、“変容”の構造なのだ。
波は、時に沈黙の中でこそ最大の衝撃を孕む。その衝撃は構造を変え、空間を再定義し、建築を「比例の図式」から解き放つ。
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