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第三回|COWPYRIGHT──建築のもうひとつの身体

  • 岩川 幸揮
  • 6月14日
  • 読了時間: 3分
PHARMAKON OVERWRITE STUDIO 構想記 #03
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COWPYRIGHTは建築の歴史に属する。それはキャラクターでもマスコットでもない。記号やロゴのようなものでもない。むしろ、建築の文脈にアクセスするための装置であり、既存の建築的知覚を脱臼させ、再構成するための“誤配”そのものだ。

私たちは建築を「構造体」として、あるいは「機能」として理解してきた。だがCOWPYRIGHTは、建築のフィジカルさをまったく別の形で提示する。

黒縁のメガネは、知性のフレームとして。鼻輪は、ドアノッカーのように他者との接点を示し、舌を出す仕草は、アイコニックな天才のパロディとしてありながら、どこかで建築的なジェスチャーを含んでいる。

牛模様は単なる装飾ではない。その斑はコンクリートにも鉄にも木材にも変換されうる——つまり「マテリアル」そのものなのだ。それは、建築的思考が再帰する象徴でもある。

この構造体が収まるケースは、本の見た目をした鋳造の型だ。180度に開かれたページの内部に、その身体は静かに封入されている。だが、それは単なるパッケージではない。複製のための「型」である。

何をそこに流し込むのか?水を入れて氷にするかもしれない。粘土を詰めてゴーレムをつくるかもしれない。チョコレートを注いで食べられる建築を生成することだってできる。

では、複製されたそれらは建築にとって何なのか?モジュール化された断片か?近代建築の反復形式に対する批評か?ポストモダン的な遊戯か?あるいは、消費社会のループに突き刺さる新しい建築のふるまいか?

この「鋳型としての書物」は、知の器であると同時に、物質を固定する構造でもある。そこに何が流れ込むかによって、建築はまったく別の顔を見せる。知識、記憶、感情が液体や素材となってこの身体のなかに染み込んでいく。出来上がるのは、形の複製ではない。建築の問いの複製である。

なぜ“牛”なのか?それは建築が無意識に避けてきた「民俗」と「神話」の狭間にあるからだ。牛という動物には、家畜としての実用性と、神聖さが同時に宿っている。それは農村の労働力であり、宗教儀式の供物であり、豊穣の象徴でもある。そこに、建築が持ちうる両義的な力の根源が見える。

COWPYRIGHTは展示され、着用され、流通し、都市を移動する。定着せず、固定されず、それでも“構造”であるというあり方。それは、「構築」という建築の根本原理を根底から問い直す存在だ。

このキャラクターは、建築と他のジャンルをつなぐ可視化されたインターフェースであり、建築が移動し、着られ、流通し、複製されるための新しいフォーマットでもある。

問いはこうだ。建築は、いつから建築でなくなるのか?あるいは、建築は何にでもなれるのか?

COWPYRIGHTはその答えを持たない。だが、その問いを「姿」として提示している。

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