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10年後の岩川幸揮(仮)

  • 岩川 幸揮
  • 2025年12月16日
  • 読了時間: 3分


最近、自分がどこに向かっているのか、よくわからなくなっている。

建築をやっているのかと聞かれると、そうだとも言えるし、そうではないとも思う。アートなのか、理論なのか、教育なのかと問われても、どれも少しずつ当たっていて、どれも決定打ではない。

ただ一つ確かなのは、この状態を早く整理したいとは思っていないということだ。

10年後、私は建築界にはいないかもしれない。

少なくとも、雑誌や賞や実作を軸に回る、あの意味での「建築界」には長く留まっていない気がする。けれど同時に、建築の外に完全に出てしまうとも思えない。

なぜなら私が扱っているのは、ずっと建築の核にあるものだからだ。

スケール、構造、境界、滞留、時間、制度、読解。建物を建てるかどうか以前に、それらがどう成立しているのか。その前提を疑うことに、関心がある。

もし10年後の私が何かをしているとしたら、それは「作品をつくる」ことよりも、意味が立ち上がってしまう条件を操作することに近い。

展示や空間、キャラクターや店舗、文章や理論。それらは別々の活動ではなく、同じ震源から派生した異なる断面だと思っている。どれか一つに回収された瞬間に、重要なものが抜け落ちてしまう。

だから私は、主戦場を決めないだろう。

それは優柔不断だからではなく、固定された場所に立った瞬間、問いが鈍ることを知っているからだ。

10年後、私は教える立場にいるかもしれない。

けれどそれは、知識を渡す人間としてではない。正解を示す教師でもない。おそらく私は、問いが発生してしまう状況をつくり、その場を簡単には回収しない人間になっている。

学生や若い作家に、完成形を見せることはできない。その代わり、思考がまだ不安定なまま動いている姿を、隠さずに差し出していると思う。

それは教育というより、同席に近い。

アートの世界では、私は少し扱いにくい存在になっているかもしれない。

作品は売れるが、売りやすくはない。展示は成立するが、消費しやすくはない。説明はあるが、それだけでは足りない。

けれど、その不便さこそが、私の仕事の核だとも思う。

わかりやすくするために削ぎ落とした瞬間、構造そのものが壊れてしまうからだ。

正直に言えば、私がいちばん怖れているのは、失敗でも無視でもない。

すべてが「わかったこと」にされてしまう未来だ。便利な要約が流通し、理解した気配だけが残り、思考としては死んでしまうこと。

だから私は、完成させない。

理論も、作品も、立場も、常に更新され続ける不安定な状態に置いておく。

おそらく10年後も、私はこう言っている。

「まだ震源は、掴めていない」と。

そしてそれは、敗北の言葉ではない。

まだ続けていいという、唯一の条件だ。

この文章も、未来の自分に裏切られる前提で書いている。もし10年後に読み返して、まったく違う場所に立っていたら、それはきっと悪くない。

わからないまま、書き続ける。

それが、いまの私にできる、最も誠実な未来の置き方だと思っている。

 
 
 

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