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序章|空間は閉じられたチャートである

  • 岩川 幸揮
  • 6月4日
  • 読了時間: 2分

― 赤瀬川原平の「宇宙の缶詰」に見る、空間の可視性と境界の皮膜 ―

空間は、ただ広がるものではない。それは、すでにどこかで閉じられている。

赤瀬川原平が「宇宙の缶詰」と呼んだ行為、つまり既存の缶詰を開け、中身を空にして、そこに「宇宙」を封じ込めるという遊戯のなかに、私は建築や芸術における空間の未来を見た気がした。それは冗談ではない。本当に、そう思ったのだ。

この缶詰は、「空である」ということによって、むしろ密度を帯びてくる。何が詰まっているか分からないということ、何も詰まっていないということ、その両極が波のように打ち寄せる。それが空間だ。

「建築」は、かつては立ち上がる形であった。だが今、私たちが触れている空間は、液晶の中に閉じられたチャートである。それは動いているが、どこかに向かっているわけではない。

水平と垂直が交錯する座標のなかに、波が干渉し、価値が一時的に浮上する。価値は「価格」ではない。波として観測された瞬間の、あの微かな衝撃こそが、空間としてのリアリティだ。

波は、線を超えて波紋を広げていく。その波紋の縁こそが「境界」であり、建築における「形」は、すでにその境界に過ぎない。

つまり、空間は常に観測されている。建築とは、「観測された波」であり、もはや形ではなく、視点と時間の干渉によって現れるものなのだ。

 
 
 

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