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第二回|建築は移動する

  • 岩川 幸揮
  • 6月13日
  • 読了時間: 2分

PHARMAKON OVERWRITE STUDIO 構想記 #02
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このバイクは少し変わっている。リアのタイヤが2本ある。それぞれに片持ちのスイングアームがついており、身体の動きと連動して傾く機構が搭載されている。つまり自立して転倒しない。タンクの形状から液晶が立ち上がり、それは風防のようにも見える。この造形は単なるバイクではない。それは運動体であり、空間装置であり、構造体でもある。

ファッションは最小の建築だと言った人がいる。その柔軟性と身体との連動性ゆえに。ならばこのバイクもまた、建築の最小単位ではないか?身体と連動し、動き、都市に痕跡を刻むこの物体は、単なる移動手段を超えて、構造化された空間として機能している。だとすれば、これは建築なのか?

この問いは唐突に見えて、実は必然的に現れる。バイクが建築であるとしたとき、建築が持っていたはずの条件、つまり「固定されていること」「人を包むこと」「都市に位置すること」といった属性はどうなるのか?それらが失われたとき、それでも建築と呼べるのか?

建築はかつて、装飾を拒絶した。装飾は嘘であり、本質を覆い隠すものだとされた。しかし、いま目の前にあるこのバイクの有機的な曲面や光沢は、ただの装飾ではない。空力・情報・皮膚・素材が溶け合った、もうひとつの「構造」である。建築において装飾とは、意味を生成する装置であり、情報を流通させる表面であり、触覚と視覚を媒介する記号であるべきだ。

建築が移動を始めるとき、空間は変化する。空間はもはや「そこにあるもの」ではなく、「動きながら立ち上がるもの」へと変わる。建築は都市に対する定着の意志ではなく、都市のなかを移動しながら問いを刻む動的な存在になる。私にとってこのバイクは、その象徴である。

このバイクには、私がこれまで構想してきたビジュアル──車やフィギュア、ファッションや彫刻、建築の断片──がすべて統合され、実装される予定だ。それらは単なる造形物ではなく、「建築のための建築」を構成する要素群である。バイクでありながら彫刻であり、身体を拡張しながら都市を変形させる装置。消費されるプロダクトではなく、問いを運ぶ建築。

私はこう考える。**人のための建築は、建築にはならない。**建築は常に、建築自身のために存在すべきだ。人を包み、守り、満足させるためだけにある建築には、もう未来はない。だから私は建築を移動させる。加速させる。構造を問い直す。このバイクは、そのための始まりにすぎない。都市の中を走ることで、建築そのものが運動体となることを証明する装置である。

建築の死を、私は拒絶する。



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