序章|比例という幻想:コルビュジエ再読
- 岩川 幸揮
- 5月28日
- 読了時間: 2分
建築における「比例」とは何だろうか。単なる幾何学的比率や数学的調和のことではない。それは、空間を普遍化し、秩序を保証する装置として、歴史を通じて繰り返し召喚されてきた概念である。特に近代建築においては、「比例」は人間の尺度と結びつくことで、建築を理性と美の一致の場に変えようとした。中でもル・コルビュジエは、人体寸法と黄金比を基礎に据えた「モデュロール」によって、比例を建築の根幹に据え直した代表的な建築家である。
しかしこの比例は、本当に建築に永遠性をもたらしたのだろうか。それとも、ある特定の瞬間を切り出し、空間を凍結する契機になったのではないか――。私はその問いから出発したい。なぜなら、比例は時間に対して中立ではないからだ。むしろ、比例が強く作用する時、空間から時間が排除される。動きやゆらぎ、波といった流動的なものは、比例の支配のもとで抑制され、視覚的な秩序へと変換されてしまう。
しかし私は、比例とはむしろ「波の一断面」であると考える。黄金比は完璧な比率ではなく、変化し続ける運動の中からたまたま切り出された一時的なかたちなのではないか。そう捉え直すことで、比例という概念は、静的な秩序から動的な現象へと転換される。ル・コルビュジエが探し求めた普遍性もまた、変化する波のなかの特異点として理解できるはずだ。
この思考の転換は、私自身が建築とチャート構造の類似性に気づいた時に生まれた。金融チャートの中には、エリオット波動や黄金比といった「構造」が現れる。だがそれは人間が設計したものではなく、市場という集合的無意識の中で自然に発生する波の構造体である。そこには「価値」の運動と「時間」の推移が不可分に絡まり合っている。では建築においても同じように、空間や構造が、波として、時間と価値の相互作用によって生まれているとしたら?
本稿では、ル・コルビュジエの「比例」を単に批判するのではなく、それが波動的構造の一断面であるという観点から再読し、そこから現代建築が取り逃がしてきた「流動性」と「永遠性」の関係を問い直したい。比例という語が過去の秩序を指すのではなく、波としての建築の入口になるとすれば、私たちはようやく建築の内部に「変化」を導き入れることができるかもしれない。
コメント