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第3章|比例の崩壊とデコンストラクション:中心なき構造へ

  • 岩川 幸揮
  • 2025年5月31日
  • 読了時間: 2分

比例とは本来、安定と秩序の代名詞だった。古代ギリシア建築における調和、ルネサンス期における人体との類比、そして近代建築における合理性――比例は常に、「普遍的な美」を担保するための尺度として働いてきた。コルビュジエがモデュロールを通じて示したのも、そうした「比例への信仰」の系譜の一部である。

だが20世紀後半、こうした比例の支配的な枠組みに決定的な裂け目が生じた。それがデコンストラクションである。

哲学者ジャック・デリダは、「中心」や「起源」という考えそのものを批判した。あらゆる構造は、意味が自明であるように見せかけながらも、実は多義的で、差延され続ける「ズレ」によって成り立っているとする。そしてこの考え方は、建築家ピーター・アイゼンマンを中心に空間設計に応用され、比例や調和といった構造原理そのものを「解体」するデザインが次々と現れることになる。

アイゼンマンの建築は、もはや人間の身体に寄り添うことを拒むかのようだった。図と地の反転、機能と非機能の曖昧化、中心なき構成。そこには比例による秩序などはもはや存在しない。あるのは、多義的な意味と構造の「ノイズ」である。

だがこのデコンストラクション建築は、その斬新さとは裏腹に、時間の中で「老朽化」していった。比例によって支えられていた構造的な「永遠性」は失われ、空間は瞬間的な印象に留まるようになった。つまりデコンストラクションは比例の幻想を打ち壊したが、それに代わる持続的構造を提示するには至らなかったともいえる。

さらに日本においては、こうしたデコン建築の思想は根本的に受け入れられにくかった。茶室や数寄屋造りのように、曖昧さや未完性を美とする日本建築にとって、ズレや不安定さはむしろ自然であり、わざわざ理論的に「解体」し直す必要がなかったとも言える。つまり日本にとっての空間の多義性は、近代的比例とは別の系譜としてすでに存在していたのだ。

ここで浮かび上がる問いがある。比例の幻想を打ち壊したデコンストラクションは、果たして新たな空間の根拠を提示できたのか? あるいはただ「中心を壊す」という運動に終始し、波としての空間――すなわち持続しながら変化し、干渉し、共鳴するような構築の可能性には至らなかったのではないか?

この章の終わりに、比例は静的秩序の記号であり、デコンストラクションはその解体の試みであったという構図を確認しておきたい。そして次章では、それらを「波」として読み直すことで、より全体的な構造を見出す試みへと向かうことにする。

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